
1959年(昭和34年)12月27日(日)PM3:10文京公会堂
第1回 日本レコード大賞
主催:公益社団法人 日本作曲家協会
日本レコード大賞制定委員会
大賞

歌手:水原 弘
作詩:永 六輔
作曲:中村八大
編曲: 中村八大
歌唱賞
曲名:「夜霧に消えたチャコ」
歌手:フランク永井
作詩:宮川哲夫
作曲:渡久地政信
編曲:渡久地政信
作詩賞
曲名:「フルート」
歌手:島倉千代子
作詩:サトウハチロー
作曲:古関裕而
編曲:古関裕而
作曲賞
曲名:「夜霧に消えたチャコ」
歌手:フランク永井
作詩:宮川哲夫
作曲:渡久地政信
編曲:渡久地政信
童謡賞
曲名:「やさしい和尚さん」
歌手:石井亀次郎とキングホウズキ会
作詩:加藤省吾
作曲:八洲秀章
編曲:八洲秀章
■この年は、新人が大賞を受賞したため、新人賞はなしとなった。
この年の最大のニュースは「皇太子殿下のご成婚」。世の中は「ミッチーブーム」に沸きかえり、この年に生まれた女の子に「美智子」という名前が多く付けられました。レコード業界は、まだまだ戦争による傷が深く、街にレコードが鳴り響いても、そのプレス数は少ない時代。前年に、日本作曲家協会初代会長である古賀政男、平井 賢などがアメリカの「グラミー賞」を見学。帰国後、「日本でも」という発案で計画されたのが「日本レコード大賞」でした。
栄えある第1回の大賞受賞曲は、水原 弘が歌った「黒い花びら」。当時のロカビリーブームの象徴であった「日劇ウエスタンカーニバル」で、守屋 浩、井上ひろしとともに「三人ひろし」として人気があった水原 弘。その彼を、東芝音楽工業が起用。フリーの永 六輔・中村八大に依頼して出来たのが、伝説の名曲「黒い花びら」でした。
甘くモダンな曲調と、水原 弘の強烈な個性は圧倒的に支持され、画期的なポップス歌謡「黒い花びら」の誕生とともに、日本レコード大賞の歴史は、スタートしました。
1959年(昭和34年)社会・世相
[この時代]
- 皇太子殿下のご成婚
- テレビ受信契約約200万人突破
- 伊勢湾台風
[流行語]
- カミナリ族
- パパは何でも知っている
- タフガイ
- 岩戸景気
- 神風タクシー[ファッション]
- 白いコート
- ヘアバンド
- テニスルック
[物価]
- そば(もり・かけ) 35円
- 新聞購読料 390円
- 巡査初任給 8,930円
[ヒット商品]
- ハーフサイズカメラ
- ダットサンブルーバード